ゆるモザ日記。

青年海外協力隊を終えて、再びモザンビークにて就職。ゆるく、楽しく、自分らしく。

協力隊をやってよかったと思うこと。

日本に帰国してから2週間弱。


時間が秒で過ぎていきました…。(ほぼ引きこもり)

そして、光の速さでモザンビークでの日々が過去のものとなっている…。


まとめ的なブログを書こう書こうと思いつつ、

ひたすら寝るか、ネット世界に入り浸るかの怠惰極まりない状態だったので、

ここらで、

ちゃんと書きます!!

モザンみやげのカシューナッツをかじりながら…。


※長いよ!暇つぶしにどうぞm(_ _)m














青年海外協力隊に応募したのは、

今から約3年前。(3年前!!!)

その時は、ぼんやりと、

「海外に飛び出して、いろんな経験をしたい」

っていう思いだけで。

私の場合、ほんと、なんとなく、(いろんな人に怒られそう…笑)

興味本位で、

そして個人で海外に行くよりも何十倍も手厚いJICAのサポートに惹かれて、

応募しました。



結果、

モザンビークのビランクーロという街に赴任することになり、

モザンビーク?どこ??」
ポルトガル語?なに??」

という状態からスタートし、

そこから二本松訓練所での派遣前訓練を経て、

モザンビークに赴任し、

2年間、

ビランクーロという街で生活しながら、

観光支援のお手伝いをしました。




終わってみれば、






「こんなにも濃密で、充実して、刺激的な2年間は、後にも先にも私の人生史上ないんじゃないか?!」






というくらい、

楽しい2年間でした。

いや、うん。

楽しかった。

大変だったこともそりゃあ山ほどあったはずだけど、

思い返すと、



楽しかった、の一言。






青年海外協力隊に挑戦してよかった!!!





と、胸張って言える。






前置きがかなり長くなったけど、


そう言える理由、

協力隊をやってよかったと思うことを、

書いてみることにします!








1. 一生モノの出会いに恵まれた



ほんと、これに尽きる‼


みんな大好きです‼(先走る思い)



二本松訓練所で出会った2017-4の同期達、

モザンビークで出会ったモザン隊員仲間、

モザンビークで出会った日本人の皆さん、ビランクーロの同僚、街の人、観光協会NGOや民間企業で働く人達、





みんなみんな、協力隊にならなきゃ出会ってなかったんだなぁと思うと、

ちょっとゾッとする。

みんなに出会えたからこそ知った、

新しい世界、私にはない考え方、

楽しかった時間。




全部、私の財産です。



特に、協力隊仲間は、特別。



協力隊になる人達って、それぞれがいろんな思いをもって応募してて、

かつ、

一様に、

クセがある。笑

だがそこがいい。マジでいい。




あくまで私の場合、個人的な考えだけど、

同じ企業に勤めて、同じコミュニティの人たちとだけいると、

だんだんと頭が凝り固まってきてしまうというか…。



知らず知らずのうちに、

「みんなの考えが自分の考え」

「自分の考えがみんなの考え」

ってなっちゃう。


でも、

いろんなバックグラウンドを持った、

自分の意見をしっかり持った、

協力隊仲間といると、

「そうか、そういう考えもあるのか」

と、思うことが多くて。


で、周りもそんな個々の意見を否定するわけでもなく、

「へぇ、おもしろいね」

と受容するので、すごくオープンな雰囲気があって、よかった。

(時に、受容せず議論になるのも、よかった。笑)


協力隊が終わってからも会いたいなと思える仲間がたくさんいて、

(そう思ってんの私だけじゃないよね??私だけだったら泣く。笑)

それってつまり、良い出会いに恵まれたってことだよなって思います。


すごく良い刺激をもらいました。
ありがとう。


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訓練所の写真懐かしすぎか。もはや、高校の卒業アルバム見返す並の懐かしさ。笑








2. 「外国人」を体験できた。「日本という外国」を体験できた。



国際交流、異文化コミュニケーション、っていろんな形があると思うけど、

自分が「外国人」になる、っていう経験は、

海外に2年住まなきゃできなかったと思う。

もっと言えば、

アフリカに住まなきゃできなかった。


だって、モザンビークの人達、

そもそも、

「日本」という国を認識してないんだよ??笑

「日本は中国の一部」という考えがマジョリティの世界。

街を歩けば常に、
「白人だ!チャイナだ!」という目に晒される日々。

職場に行ったって、現地語でおしゃべりされたら、何もわからない。陰口言われてるんじゃないかって感じる。

みんなの話に入れない。
みんなの感覚と私の感覚が違う。
私の話をみんなは理解してくれない。



赴任して最初の一年は、

とにかく孤独との戦いだった。



でも、つまりこれって、

全世界の「外国人」が直面する戦いであって。

もっと言えば、

マイノリティであるがゆえに苦しんでる全ての人が感じる気持ちなんだろうな、と。



↑に書いたこと、日本人だって似たようなことをしてるよね?

モザンビークって国を認識してないし。

アフリカは全部いっしょくたなイメージもってるし。

街中で黒人を見たら声に出さずとも「黒人だ!」と思うだろうし。

見た目だけで「外国人」という線引きをして、距離を取ってしまうことあるんじゃないかな。

私はあった、と思う。



そうやって、

「外国人」の気持ちを知れたこと、

「日本」を外国人目線で見られるようになったことは、

とても大きな学びでした。



自分の普通は、みんなの普通じゃない。

私にとっての当たり前が、誰かにとっては非常識。


これまでの自分の価値観をボカーンと横殴りされるような衝撃の繰り返しの日々だったなぁと。笑

固定観念をぶっ壊してくれたモザンビークには感謝。


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3. 世界は狭くて広いことを知れた


アフリカって、

めちゃくちゃ遠くて、

未知の世界で、

何もかも日本とは違うんだろうなぁ、って思ってた、赴任前。



行ってみたら、




ネットもまぁ使えて世界や日本の情報もすぐ手に入る。

ネットの力って本当にすごくて、日本ともリアルタイムで電話できちゃう。



どことだって、すぐに繋がれる世界。

日本もモザンビークも同じ。





モザンビークだろうが、日本だろうが、

気の合う人もいれば合わない人もいる。

友達とは恋バナが1番盛り上がる。

OLはたむろしてウワサ話をする。

美味しい、嬉しい、楽しいを、共有できたら幸せ。



日本もモザンビークも同じ。




2つ目に書いたことと矛盾するかもしれないけれど、

協力隊に参加してアフリカに2年住んでみたら、




なんだ世界って案外、狭い。
身近なんだな。




って思えるようになった。

派遣2年目の時に、一人で任国外旅行とか行ったわけだけど、

「知らない国に行くの怖い!」なんて気持ちには全くならなくて、

国内旅行するくらいの感覚で旅行してた。笑

もっと若い時から海外経験豊富な人は、とっくに身についてたことなんだろうけど、

私にとっては、世界をより身近に感じられるようになって、すごくよかった!


と、同時に、


世界はまだまだ広い。

とも思った!!


ビランクーロの透き通るサンゴ礁の海、でっかい夕陽、

アフリカのでっかい空!


まだまだまだまだ、想像を超える景色があるんだなぁ、って思わせてくれた。

知らないことがあるって楽しい。

世界は狭くて広い。



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4. 語学に対して前向きになった


モザンビーク生活では、主にポルトガル語、時々英語を使っていて、

最初の頃は、語学ができないのがとにかくストレスだった。

「なんでこんなにポル語ができないんだー!!ヽ(`Д´)ノ 」

と、1人騒いでいたんだけど、



実は、



周りはそんなに私の語学力を気にしてなかったりする。

言葉で通じなくても、身振り手振りや、

表情で、

なんとでもなる。




こと日本人て語学に対してのコンプレックスを感じがちで、

「ちゃんと正しい英語を話さなきゃ…!」

と思い込んでるけど、

「ちゃんと正しい英語」を話してる人ってそんなにいなくて。

ポル語も同じ。

みんな、発音も文法もオリジナリティもりもりだけど、

コミュニケーションはとれる。



あと、

みんな私の下手くそな言葉を理解しようと頑張ってくれるんだよね。

ありがてぇ、ありがてぇ…。

そういう周りの人達の優しさもあって、



「別に下手くそなポル語(英語)でもいーや!」



って開き直れた。

開き直ったがゆえに、派遣2年目は勉強がサボりがちだったの否めないけど笑



でも明らかに、

語学に対してポジティブになれて、

「こんな感じでコミュニケーションとれてればいーんだー」

って思えるようになった。

たぶん、これから日本で外国語話者の人に出会っても、

サクッと話しかけられる気がする。

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5. 命について考えられた


日本で生活するよりもはるかに、

命、生と死、

が暮らしに密接に在る、モザンビーク



鶏は生きた状態で市場に並び、みんな脚を紐で縛って家まで持って帰る。

ヤギも。

豚や牛がと殺されるのはスペシャルな日。



私達の食は、命を頂いて成り立ってるんだな、

と改めて実感することができた。



動物だけじゃなくて、

人の生と死、 

について考える機会も多かった。



同僚や友人の家族が、事故や病気で亡くなることがよくあった。

エイズマラリアで亡くなったという話も聞いた。

かと思えば、

新しい命もたくさん生まれて、2年の間でたくさんの赤ちゃんを見たし、

たくましく子育てするお母さん達も見た。



そう、みんなたくましい。

たくましく生きてるモザンビークの人達から学ぶことは多かった。


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6. 自分自身と向き合う時間がたくさんあった



協力隊をやった2年間、

とにかく、

1人でぼーっとしながら考える時間が多かった!!笑



こんなに自分自身と向き合って、
 

自分は何をしたいのかなぁ

とか

自分は何をしてきたのかなぁ

とか


じっくり考える時間、今までなかった!



ブログ書く時間だって、それ。

今日一日、こんなことがあって、こんなこと考えたなぁ、って、

ゆっくりぼんやり考える時間、

日本で生活してたらなかなかないよなー。



日本にいるよりもネット見たり、

本読んだりする時間も多かったから、

余計に

考えごとが捗った。



これが、今後どう活きていくのかは知らないけど、

日々忙殺されてしまうよりかは、

よかったはず!



立ち止まって考える時間って大切だよな、と思う。


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はい!

以上、

協力隊をやってよかったと思うこと、

でした!!

これが全てじゃないけど、

厳選して書くつもりが、

結局

だらだらと長く書いてしまった…

最後まで読んでくれた方々ありがとうございましたm(_ _)m




これを読んで

協力隊、いいかも。と思ってくれた人がいたならば、嬉しいです。




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