ゆるモザ日記。

青年海外協力隊を終えて、再びモザンビークにて就職。ゆるく、楽しく、自分らしく。

外国人という概念(派遣544日目 2019/09/27)

とりとめもない、考えごと。






今日、いつものように同僚OLとお茶しながら、

ふと、








「あれ、私、この人たちに対して『外国人』という認識がない…。


そして私自身を『外国人』と思っているわけでもない…。」








と感じている自分に気づきました。












めちゃくちゃ当たり前のこと言いますね。












そもそも『外国人』なんて人種はどこにも存在していないってこと。


この世界に存在してるのは、

『自分』と『他人』

それだけなんだなってこと。












私が物心ついた頃には世の中は、


東西冷戦の終結や、
アジア、アフリカでの各国独立で、

『平和な国際社会』というイメージが広まっていて、


インターネットの登場や

グローバル社会という言葉が現れて、

『世界がどんどん小さく』感じるようになっていて。





せーかいーはーせーまいー

せーかいーはーおーなじー




なんて歌もあるけど、


とにかく、


『人類みな兄弟』

みたいな

『友情に国境は関係ない』

みたいな







『国際社会ではみんな平等なんだよ』

というモラルを教育されて生きてきたから、






なんか勝手に、





『私は外国人に対しても差別なく接することができますよー』






って、


たかをくくってた、気がする。







たぶん、


全然理解してなかった。







自分と、

国籍や肌の色や使う言語が違う人たちの間には、

『外国人』

という、太い線を引いていたと思う。





その線は、

同じ日本人である他人との間には、

無い、線。






「外国人だから理解できない」とか、

「外国人だから理解してもらえない」とか、

そうやって、

相手のことよく知ろうともせずに、コミュニケーションをシャットダウンしてたことあったんじゃないかな。





自分の当たり前、日本人の当たり前が、

世の中の当たり前、

って思ってなかったかな。




言葉がうまく理解できない孤独を想像したことがあったかな。




言葉が通じなくてもわかり合えること、言葉が通じてもわかり合えないこと、があることを理解してたかな。







モザンビークでの生活は、

私にそんなことを考えさせます。






モザンビークで1年半過ごしてみて、

この『外国人』との間に無意識に引いていた線が、

消えたのを感じる。



うまく言えないけど、

モザン人の友達と話していても、

日本人の友達と話しているような感覚。

もちろん、

言葉はスムーズに理解できないし、価値観なんて全く違うんだけど…。


「外国人と話すぞ…!」みたいなかまえ方をしなくなったというか、

すごく自然なんだよね、自分が。





相手の違いを認められるようになったし、

自分の常識を疑うようになったし、

っていうかそもそも、

その違い自体「ある」のが当たり前、

違うのがデフォルト、

になった、というか。

ニュートラルな感じ?







えー。

まとまらなくなってきました。笑








確実に言えることは、

モザンビークに来る前と今で、

自分にとっての世界(他人)の見え方が変わってきた、

ってことです。



たぶん、

生まれて初めて、

『自分が外国人』を経験したからなんだろうなぁと思う。


そして今、

その外国人という概念は消えてなくなった……笑




『小さな世界』の歌、よく意味わかってなかったけど、

うん、確かに、

世界は同じで狭いよ…しみじみ。





協力隊やってはじめて気づくことがたくさんあるなぁ。







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こうやってとりとめもない考え事をする時間があることも、

協力隊だからこそ、だと思う…しみじみ。



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